海の玄関・・・別府国際観光港
別府港は、瀬戸内海航路の始発点、終着点です。
九州と四国・関西を結ぶこの航路は、戦前から別府に人とモノの交流をもたらしました。
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今は・・・船体に太陽を描いたサンフラワー関西汽船(松山・今治・神戸・大阪)
四国、愛媛県の佐多岬に向かう宇和島運輸(三崎・八幡浜)
などが就航しています。
この港が起点になって・・・湯布院・くじゅう・阿蘇へと観光客が広がってゆく・・・。
帰りは・・・この港から戻る・・・その時は・・・焼酎も土産に提げてるんでしょうねぇ。

先週の土曜日・・・日本の最高級クルーズ客船「飛鳥」が入港し一日碇泊していました。乗船客は、別府観光を楽しんだのでしょうね・・・。
by project-beppin | 2004-12-23 18:49 | 大分の風土・行楽 | Comments(5)
Commented by けんじ at 2004-12-23 22:29 x
伊予出身。日清戦争直後の米相場で大儲けするが、のち破綻。アメリカに亡命さながらに渡り、帰国。流れ着いた所が別府・・・・
やがて一から別府を一大観光地に仕立て上げた男、油屋熊八翁もこの港に降りたのでしょうか。

別府の流川通りにある伊予銀行を見ると、伊予、豊後の一衣帯水の距離、人的、物的交流の盛んさを感じる事が出来ますね~。

宮崎も例外ではなく手前味噌になりますが「萬年」の渡辺酒造場さんの先祖も伊予出身http://beefheart.power.ne.jp/tankentai/kenjirou/K05.html
です。宮崎市中心部商店街、商店主の7割は四国ルーツ、そのうち6割は愛媛ルーツだそうです。

私が四国に渡る時は佐賀関町(大分市の一部になっちゃいますね)から
の国道九四を使いますが(爆

今は亡き(でしたっけ)広別汽船で、中国地方との交流も昔から盛んですね。別府、大分は。

Commented by 酎州大分 at 2004-12-24 00:32 x
“山は富士、海は瀬戸内、湯は別府”このコピーを富士山頂に建てようと発案した油屋熊八翁は、この港から第一歩を踏み出しました。

別府は、旧の浜脇町、別府町あたりは古くからの地元の方が多いようですが・・・四国や広島、山口から一旗揚げに、この地に渡ってきた方は多いようです。
明治から大正以降にかけて、“九州の浅草”と呼ばれるようになる頃には、単なる湯治客ばかりでなく、四国の商売人の次男坊がこの地で商売を起こし、次第に発展していく別府の礎を築いたと考えてよいでしょうね。

けんじさんのおっしゃるように・・・伊予閥、讃岐閥など四国が出身の方は、3代目の時代となりました。 駅前の小谷酒店は伊予八幡浜、鉄輪のアートホテル石松、湯の杜たにもとなどは讃岐琴平(清水の次郎長、石松の金比羅代参からとったのが石松旅館の屋号のはじまり)・・・

ちなみに、伊予からの農地開拓団が杵築、国東のみかん農家となってかの地の経済を支えてきました。
Commented by 酎州大分 at 2004-12-24 00:32 x

逆に別府からは、湯治客が使った用具の代表である脱衣籠、湯治の自炊に使われた笊、味噌漉しなどの竹細工製品が全国流通の道をいち早く築きあげることに成功・・・専門化した量産と技能の特化が進み・・・現在の別府竹細工の産地形成が図られたという歴史も・・・この港と深く関わりがあります。
Commented by ニュートラル at 2004-12-24 00:44 x
さんふらわあはさんふらわあでも「さんふらわあ こがね」ですね。
船好きとしてみれば「飛鳥」は乗ってみたい憧れの船です。
大きくて見た目も素晴らしいですね。
Commented by 酎州大分 at 2004-12-24 00:50 x
そうですね・・・
さんふらわぁは、4隻“こがね”“にしき”“こばると”“あいぼりー”
一日2往復の12時間夜行航路(阪神直行便と四国経由便)ですから・・・
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