別府“夏宵”散歩・・・“鉄輪線”の“春木川”周辺
オヤジは、23日(金)・・・“大暑払い”で“鉄輪線”まで上っていましたが・・・別府の中心街は、この22日(木)~25日(日)まで・・・“別府 夏の宵まつり”が開催中です・・・。

c0001578_2231350.jpg海岸線一帯を除けば、ほとんどが斜面になっている別府の地形にあって・・・“鉄輪線”とは?・・・標高約150m付近の観海寺温泉地区と鉄輪温泉地区をほぼ南北に横断する幹線道路“県道218号線”の通称・・・商店街としては“鶴見通り”とか“つるりん通り”と呼ぶこともありますが・・・別府市民はこの道路を一般的に“鉄輪線(かんなわせん)”と呼んでいます・・・。

厳冬時の積雪や梅雨時の濃霧では・・・その有無の“境界”として、この“鉄輪線”を象徴的に引き合いに出すこともしばしば・・・「鉄輪線から上(の地区)は、雪やった」とか、「鉄輪線までは、濃い霧や」などとよく会話に登場します・・・。

その“鉄輪線”の“春木川”に架かる“御門橋”の上から・・・“鶴見岳”方面を眺めると・・・背後の“内山”や“伽藍岳”に霧雲がたち込めて霞んでいましたが・・・正面に“扇状”に広がる緑の絨毯を敷きつめたような“扇山大平山”がきれいに見えました・・・。

日頃は、水量も少ないこの“春木川”も・・・ゲリラ豪雨のような時には、一挙に水嵩が増して濁流となって駆け下る光景があることも・・・忘れてはならないのかもしれません・・・。

また、“鶴見岳”噴火を想定した“火山防災マップ”によると・・・“扇山”を源流とするこの“春木川”にも降灰後の“土石流”が下る可能性があるとのこと・・・。

歴史的にも・・・江戸時代、別府の他地区が“幕府直轄地”であった中・・・この“鉄輪線”沿線を含む旧“鶴見村”は、“豊後森藩=玖珠 久留島藩”の“飛地”所領であったことから・・・そんな歴史散歩も楽しめます・・・。


※ ご覧戴いている皆様!・・・皆様から頂戴した“善意”の人気blog ランキング】への応援クリック!・・・これだけ(コンテンツ・エントリーを)怠慢したにもかかわらず・・・現在もなんとか持ち直して100位前後をウロウロですので感謝感激であります・・・。これからも、ご覧いただいて“早く麦焼酎飲んで載せろよ!”とか“それでも、また見たるでぇ~”とか・・・“広い心”をお持ちの方は・・・人気blog ランキング】への応援クリック!を・・・“都合のいいお願い”ですが、よろしくお願いします・・・m(_ _)m。皆様のご支援の賜物でこの拙文ブログもなんとか続いております。ありがとうございます・・・。




c0001578_2233613.jpgその“豊後森藩”所縁の“曹洞宗”寺院“宝泉山 実相寺”の参道・・・。

また・・・地名“火売(ほのめ)”の元となった“延喜式”に記された式内社“火男火賣(ほのおほのめ)神社=鶴見権現”も・・・この近くにあり・・・“鶴見岳”の男峰と女峰を神格化した“火男・火売二神”を祀っています・・・。貞観九年(867年)に“鶴見岳”噴火の鎮災を祷ったとの記録も残り、その後“大友宗麟”により社殿を焼失、“豊後森藩”の加護により再建との歴史を垣間見ることができます・・・。

c0001578_22554374.jpgそれから、“鉄輪線”沿いに面して・・・“魚豊寿し”の並びにある元酒屋(閉店?)の風景・・・営業していた頃は、“角打ち”もあったであろうと・・・想いを巡らせるような佇まいに目を取られて思わず撮影してみました・・・。

“酒”とあるだけの置き看板・・・庇(ひさし)に描き込まれたこの店の“看板銘柄”・・・“焼酎 ダイヤ 大五郎”、“清酒 西の関”、“清酒 豊長”と・・・。


c0001578_2256184.jpgんっ?・・・と、疑問が生じたのが、右端の“清酒 豊長”・・・。

調べてみると・・・この“豊長”・・・宇佐市長洲の旧“加来酒造”の代表銘柄・・・既に、廃業した酒造蔵の清酒 銘柄ですが・・・この地“別府”へも営業していたか?この酒店の店主が気に入ったか?・・・何れにしても、この“銘柄”を支持していたという“証”に出会えた光景でした・・・。
by project-beppin | 2010-07-25 00:00 | 大分の風土・行楽 | Comments(0)
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< “豆腐”と“大根”と・・・“愛... “大暑”にこそ旨い“ゼンゴの南... >>