中津散策(その2):福沢諭吉旧宅
福沢諭吉”・・・「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云へリ」(「学問のすすめ」の冒頭文)・・・。

c0001578_23294277.jpg封建の世にあって・・・『門閥制度は親の敵でござる』と言い・・・藩主の名前の入った紙を踏んでしまって、こっ酷く兄に叱られた時は『紙を踏んで、何故、叱られるのか・・・と“理不尽”に思った』・・・との逸話の残る・・・“中津の先哲”・・・“慶応義塾の創始者”・・・“日本銀行券の肖像”・・・(笑)。

中津“奥平藩”の下級武士の次男坊・・・19歳までここで過ごした旧宅・・・。

この家で過ごしたことが・・・彼のその後の思想や偉業の“礎”であることは・・・間違いないようですね。




c0001578_23314884.jpg

c0001578_233217.jpg

c0001578_23322452.jpg

c0001578_23323640.jpg

c0001578_23325533.jpg

c0001578_0361757.jpg

c0001578_23333016.jpg

c0001578_23335694.jpg

c0001578_23347100.jpg
by project-beppin | 2006-02-17 23:35 | 大分の風土・行楽 | Comments(2)
Commented by 縄文HAKUDOU at 2006-02-18 10:40 x
郷里の偉人「福沢諭吉」

素晴らしい、人権論。

●でも、今の「金まみれ、品なき輩」政権の
  バイブル

  「時は、金なり」。

  福沢翁の、思い。

  大夢、出ず、金(マネー)

  ■明治の豪傑、広瀬武夫を産んだ竹田がすきじゃーーー。


豊前、豊後は、文化が、ちごうのうや。

酎州さん。
Commented by 酎州大分 at 2006-02-18 12:58 x
縄文HAKUDOU師匠・・・“豊前”と“豊後”・・・穀倉平野の宇佐中津辺りと・・・祖母傾山系と大野川、番匠川の流域となる竹田佐伯辺りでは・・・確かに文化は違うでしょう。

福沢諭吉は・・・当時の“豊前”でも異質の異端・・・ですから・・・彼をもって“豊前の文化人の象徴”と見なすのも・・・これまた危険・・・。

前の中津城のコンテンツで触れたように・・・西南の役“中津隊”が実は土着の中津の当時の思想文化であったのではないでしょうか・・・。

>“大夢、出ず、金(マネー)”・・・参りました!お見事!
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< 中津散策(その3):中津宇佐平... “すり身の天ぷら”には“芋”で... >>