地下道の“偉人絵”・・・大分“先哲”列伝
今日は少し冷え込んだと思いますが・・・別府の“観光港”では早くも・・・黄色い“菜の花”が咲いていました・・・。鉄輪の“湯けむり”も・・・少しは白さが増しましたかのように見えます・・・。

c0001578_22425377.jpg夕刻、大分市内の中心部へ出かけて・・・スクランブル交差点の“信号待ち”を待ちきれず・・・“地下道”へ・・・。

久しぶりに通るこの“地下道”・・・いつもは、全く気にせず通り過ぎていたのですが・・・ふと目を留めると“シャボン玉”に浮かぶ“似顔絵”・・・。ちょっと気になり・・・記念撮影いたしました・・・。

さてさて・・・皆さんは、何人ご存知ですか?・・・大分の生んだ“先哲”たち・・・。

戦国の“大名”から・・・江戸の“学者”・・・明治の“思想家”・・・昭和の“作家”などなどを・・・愛嬌のあるキャラクター“偉人絵”に仕立ててます・・・。

ラインナップの9人は・・・大分県人にとっての歴史的にも誇りえる・・・郷土の“文化功労者”なんです・・・。

こんな感じで・・・“スポーツ功労者”や“芸能人功労者”などなども・・・“地下道似顔絵”シリーズで描かれれば・・・面白いかもしれませんね・・・。

気になりだすと・・・ここを通るたびに“大分県人もまんざら捨てたもんじゃない”って思っちゃいます・・・(笑)。




c0001578_22432884.jpg三浦梅園・・・国東市出身の思想家・・・本職は医者でありながら、自ら描いたメルカトール図法の世界地図などの筆写もあり・・・江戸時代を代表する自然哲学者として天文学にも秀でた偉人です・・・。

国東市には・・・「三浦梅園資料館」があります・・・。


c0001578_22434726.jpg福田平八郎・・・大分市出身の日本画家・・・切手にもなった“筍(たけのこ)”など・・・昭和を代表する“写実の象徴派”と呼びたくなる画風はさすがです・・・。

大分県立芸術会館」のコレクションは必見です・・・。


c0001578_2244891.jpg福沢諭吉・・・中津市出身の思想教育家・・・明治時代に「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人たるの品位を辱めざるもの、之を“独立自尊”の人と云ふ」という如何にも“文明開化”の方向性を諭す持論はさすがです・・・。

中津市には・・・「福沢旧居」と記念館もありますね・・・。


c0001578_22443014.jpg滝廉太郎・・・竹田市で幼少期を過ごし大分市で生涯を閉じた作曲家・・・“岡城”を想い作曲したといわれる代表作「荒城の月」はあまりにも有名で・・・大分県人にとっては“郷土唱歌”・・・。

竹田市には・・・「滝廉太郎記念館」があります・・・。


c0001578_2245264.jpg田能村竹田・・竹田市の南画家・・・江戸時代に地誌『豊後國志』の編纂を担った学者でもあり・・・その幅広い教養に裏打ちされた“詩・書・画一体”のその画風には・・・独自に築き上げた風雅さがあります・・・。

大分市美術館」の常設展で・・・鑑賞することができます・・・。


c0001578_22464267.jpg朝倉文夫・・・豊後大野市出身の彫塑家・・・写実的な表現で“東洋のロダン”とも称されています・・・。

旧朝地町には「朝倉文夫記念館」もあります・・・。


c0001578_22575725.jpg広瀬淡窓・・・日田市の儒学者であり、漢詩人、教育者・・・江戸時代、「敬天思想」(=人間は正しいこと、善いことをすれば天から報われる)を説き・・・当時、日本最大の私塾「咸宜園」を創立したという正に“先哲”・・・。

“高野長英”などを門下生として輩出した「咸宜園」は・・・今も日田の“史跡”です・・・。


c0001578_22481110.jpg野上弥生子・・・臼杵市出身の作家・・・代表作「秀吉と利休」は女流文学の中でも秀作・・・生家である小手川酒造の旧母屋が「野上弥生子文学記念館」となっています・・・。


c0001578_22483823.jpg大友宗麟・・・戦国時代の“キリシタン大名”・・・洗礼を受け“ドン・フランシスコ”と名のり・・・“南蛮文化の国家観”を理想とした“無鹿=ムジカの楽園”を建設しようという逸話に・・・浪漫があります・・・。
by project-beppin | 2007-01-27 22:58 | 大分の風土・行楽 | Comments(4)
Commented by tatinomi1 at 2007-01-28 06:03
こん幼稚園の壁画んようなんに世界的偉人・先哲を封じ込む「豊後の文化」は何処にも負けん。京都・奈良にも「国東」が相手になるし、なんちゅう密度の濃いい県じゃろうか。「八丁目の九ちょう目」以来、二階堂の湯割りにぞっこんです。この壁画、大分に行ったときは(トキワ)いつも眺め、梅園さんを応援します。
Commented by 酎州大分 at 2007-01-28 10:11 x
HAKUDOU師匠・・・“先哲・偉人”を親しみやすく“オイちゃん”や“オバちゃん”のように描いたこの地下道壁画・・・ナンチュウことはないのですが・・・愛嬌があります・・・。

国東や宇佐から“東遷”していった“神仏混淆”の文化ですからね・・・豊後は“BUNGO”となって“大友南蛮文化”・・・その濃度こそ我が誇りでしょうね・・・。

二階堂の20°の“アルミタンポ”直燗・・・いいですよねぇ・・・あの店の隅で独り飲みのオイちゃんに教わった飲み方ですが・・・しみじみと“地霊の滋味”と交信できる旨さだと思います・・・。

私も大分に来たトキワ・・・ここのデパートの焼酎売り場は・・・二階堂さんや三和さんのオリジナルに食指が動きます・・・(笑)。

三浦梅園・・・先駆的な自然科学の探究者の思想哲学・・・凄いですね・・・ここのあたりは岩田さんにおまかせです・・・。
Commented by tatinomi1 at 2007-01-28 11:01
大友宗麟が日本を制圧していたら、大分か臼杵が
今の東京のようなことになっていたでしょうねえ。
見果てぬ夢ですが。そのかわり今の日本は
ヨーロッパのようになっていたでしょうねえ。
Commented by 酎州大分 at 2007-01-28 14:25 x
師匠・・・当時の西洋ではイエズス会の報告が基になって・・・九州は地図上“BUNGO”という標記であったとか・・・。

大友宗麟が覇王となっていれば・・・キリシタン国家が誕生し、臼杵は首都になっていたか?理想郷“ムジカの殿堂”都市でしょうね・・・。

そうなっていれば・・・確かにキリスト教国として領主国の植民地化への道を辿ったかもしれません・・・。

宗麟は・・・そんな宗教国家観の影に潜む布教=支配という西洋概念を何処まで理解していたでしょうか・・・そう思うと宗麟にも興味があります。

あの本「天皇のロザリオ」にも・・・その布教の影が書かれてましたね・・・。
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