鉄輪のメインストリート・・・いでゆ坂と“鉄輪むし湯”
“アブラゼミ”の鳴く時候となりました・・・歩いているだけで、じんわり額に汗がにじむような“蒸暑さ”・・・“曇り時々晴れ”という昨日今日・・・“梅雨明け近し”という気配・・・。

c0001578_1128501.jpg金曜日(20日)・・・若手の“お疲れさん会”に飛び入り参加しようと・・・鉄輪(かんなわ)へ・・・。

別府駅からの路線バスで終点となる“鉄輪バスセンター”で下車して・・・石畳になった“いでゆ坂”を下ります・・・。

“湯治場”の風情・・・襖一枚隔てた“部屋貸し”の自炊宿・・・軒を連ねる昔ながらの“貸間(かしま)旅館”の佇まいが・・・気取らぬ温泉街の魅力に溢れていて・・・通り沿いの“ヤングセンター”や“渋の湯”から脇に道を入ると・・・改装した“鉄輪むし湯”や“すじ湯温泉”などの共同温泉もあって・・・この“いでゆ坂”を巡るだけで・・・別府の“湯”と“味”と“情緒”を存分に楽しめるんですよ・・・。

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c0001578_11292828.jpg坂を下りかけると“まさ食堂”の看板に、杵築の清酒“智恵美人”・・・この食堂で“だんご汁”とともに・・・浴衣姿で“冷や”一杯というのも・・・憧れます・・・(笑)。

c0001578_11294225.jpg改装した“鉄輪むし湯”・・・“石菖”を敷いた“薬草サウナ”・・・。

c0001578_11295743.jpgこの広場の横には・・・“足湯”ならぬ“足蒸し”の無料体験コーナーがありました・・・。立派に屋根付きですから・・・雨の日でも、足の疲れを癒せます・・・。

c0001578_11301159.jpg湯気抜きの竹筒から上がる蒸し湯の噴気・・・夏でもこの白さ・・・如何に自噴温度が高いかということの証明・・・。

c0001578_11322044.jpgその近くにある“すじ湯”・・・もともとは、地域住民の共同温泉ですが・・・今では、“温泉巡礼者”のために・・・一般開放もされているとか・・・。

c0001578_11323638.jpg“貸間旅館”の情緒を残す一般旅館“サカエ家”・・・ここは、夕食に“地獄釜会席”を堪能できると評判です・・・。

ちなみに・・・地獄蒸し釜で“自炊湯治”を楽しむ本来の“貸間旅館”なら・・・“双葉荘”、“陽光荘”などなど・・・鉄輪温泉街は“湯治場テーマパーク”です・・・。

他にも・・・“鉄輪豚まん本舗”の“ピンクの豚”・・・“勝太郎食堂”の“朝定食”・・・“一龍”の“玉子ラーメン”などなど・・・“B級グルメ”も見逃せません・・・。
by project-beppin | 2007-07-22 11:34 | 大分の風土・行楽 | Comments(19)
Commented by 如雲玲音 at 2007-07-24 08:57 x
 そちらは既に梅雨明けでしょうか。神戸も朝から快晴で、いよいよ夏  到来の感がしています。
 鉄輪むし湯の写真懐かしく拝見しました。思い出深い旅となりました。次の貸間旅館は陽光荘と決めています。豚まんにも挑戦する予定です。
 酎州大分さんは古代史にもお詳しいと確かコメント欄にて拝見した記億がありますが、釈迦に説法でしたら、お許しください。当方、最近三島先生の本に驚愕しております。
 マルコおいちゃんさんのブログにて知りました。
 ttp://marco-germany.iza.ne.jp/blog/entry/180932/
Commented by 酎州大分 at 2007-07-24 21:54 x
如雲玲音さん・・・北部九州は、昨日(23日)にやっと“梅雨明け宣言”でした・・・。

そうでしたね・・・鉄輪の旅をお楽しみいただけたようですし・・・また、次回はリピーターとしてお見えいただけるようで・・・ありがたや・・・鉄輪の魅力、陽光荘の地獄蒸し炊事と湯めぐり、豚まん他を・・・是非、ご堪能下さい・・・。

三島先生は(存じあげませんでしたが・・・)、なるほど“邪馬台国 宇摩説”とのこと・・・詳細は、まだ拝読していませんが・・・興味深いですね・・・。

私は、古代史に浪漫をもって勝手な推測や憶測を・・・楽しんでいる部類でして・・・(勝手に)この方の“邪馬台国 東遷説”に興味があります・・・。
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/konnkyo.htm

九州人の身贔屓な面があると思っていただいて結構なんですが・・・私は(勝手に)・・・“邪馬台国”という当時の国家権力的な集団は、北部九州から南下して・・・宇佐から瀬戸内海を渡り・・・四国(伊予)から近畿へと時代とともに中心権力者の“遷宮”が行なわれたのではないかと?・・・。

機会があれば、三島先生の説にも触れてみたいと思います・・・。ご教授に感謝です・・・。
Commented by 如雲玲音 at 2007-07-25 09:07 x
 おはようございます。

 私も子供の時から歴史好きで、ただ何の系統もなく手近かにあった本を気ままに読んできました。安本先生の本も何冊か読んだり、古田先生の邪馬台国は無かったなどから、九州説を固く信じていました。それで昨年
念願の宇佐神宮にも御参りすることが出来まして、とても感激しました。
特に古代史はロマンを感じると共に、日本人のルーツ(精神性)を探訪する上で密かに興味深く感じています。

 私は、神戸の西にある小さな港、城下町で生まれ育ったのですが、お祭りの太鼓台の伝統が今でも忘れられません。この太鼓台が卑弥呼のアイデアだったかも知れないと読んだ時に、ストンと理解出来て日本人の血が騒ぐ思いがしました。(九州の方には、肥の国移動説も興味深いものがあるかも知れません)
 押し付ける様な気持ちは全くありませんので、御気に障るようでしたら、どうかお許しください。
http://red.ap.teacup.com/applet/yamato041/200702/archive?b=10
Commented by 酎州大分 at 2007-07-26 00:27 x
如雲玲音さん・・・私も、四国琴平に親族がいる関係で、子供の頃“太鼓台=ちょうさ”に乗って遊んだ記憶があります・・・。

しかし、その頃も今も・・・一足飛びに、あの祭りが“邪馬台国”にまで遡るとは思えないんですよ・・・。

地域分布と“舟御輿”の派生という点から見ると・・・海神系民族に縁のある祭りであるような気がしますし・・・豊後高田の祭り“ホーランエンヤ”や御輿発祥の地、宇佐神宮の“放生会(ほうじょうえ)”なども・・・何か関係があるようにも思えたりします・・・。和歌山県の御坊祭(http://hp1.cyberstation.ne.jp/shinmachi/about_gobomatsuri.htm)は、正に“太鼓台”と“放生会(ほうじょうえ)”が一体化してますよね・・・。
また、“櫓型太鼓台”のように・・・原始的な太鼓台(http://park2.wakwak.com/~taiko/)も地域によってはあるようですし・・・派手な彩色座布団や龍神などの装飾がない祭りの風景もあることを思うと・・・“宇摩説”の論拠の一つとした推論“太鼓台と卑弥呼”には・・・(詳細に拝読したわけではありませんが)共感できないというのが(私の)本音です・・・。
Commented by 酎州大分 at 2007-07-26 00:30 x
如雲玲音さん・・・続きです・・・(笑)。

私なりには・・・“東大寺建立=大仏開眼”時に・・・豊前(香春)から“銅=宝”を載せた船や・・・宇佐神宮から(たぶん)“神輿”を載せた船が・・・瀬戸内海を東へと・・・その海を渡り、陸路を大和に向かったのでしょうから・・・ “銅=宝”や“神=神輿”の様は・・・どんな風に各地の人々に受け止められたか?・・・なんてこと思うと・・・それ以後に発生したということも考えられますからね・・・。
Commented by 如雲玲音 at 2007-07-26 18:07 x
こんにちは。御気を悪くさせてしまった様でしたら、申し訳ございませんでした。
幼少の頃から親しんだ太鼓台の龍の織物が気になっていました。それは日本的でなく支那的でした。皇帝から卑弥呼は大量の龍の織物を貢ぎの返礼としてもらっています。今は五本指の金色の龍の織物は支那の皇帝を意味するものだと素直に受け取る様になりました。
愚生(如雲玲音)は、三島先生の考えに出会うまで、我が子たちにも邪馬台国は九州にあったと教えてきました(笑)今は長年の個人的な謎が解けた喜びを感じております。あまり賢しらな議論は止めたいので、これにて失礼いたします。
Commented by 酎州大分 at 2007-07-29 21:17 x
如雲玲音さん・・・リコメント遅くなり申し訳ございません・・・決して気を悪くしているわけではありませんので・・・ご理解下さい・・・(小さな知識での)自己意見を記したまでです・・・。

三島先生の民俗文化の視点には感銘を受けますが・・・その民族文化と歴史の由来に至る検証には・・・まだまだ、龍の織物を民衆が使えるようになった時代背景なども考慮する必要があるようにも・・・思えるんですよ・・・。

私も・・・邪馬台国の謎は・・・(少なくとも)発生時点では九州に在ったと思っています・・・今でも・・・(爆)。

また、いろいろとお教えください・・・無知よりも有知の上の“謎の解釈”の方がより楽しいですからね・・・。

Commented by よかおとこです at 2007-07-31 02:14 x
よかですねぇ~
オイも温泉で癒されたかですよ(T_T)
のんびり温泉につかって、美味しいご馳走をたらふく食べて、デロンデロンになるまで飲んでってd(^∀^)b
この前常蔵を買ってきたら、「かぼ酢飲んじゃくれ」って、かぼす果汁パックが付いとりましたよ。
これって、こっちだけなんですか?
Commented by 酎州大分 at 2007-08-01 00:59 x
よかおとこさん・・・鉄輪温泉の“むし湯”や外湯の“温泉めぐり”・・・癒されますよぉ~・・・もちろん、貸間旅館では、デロンデロンになり放題・・・(笑)。

常蔵(減圧)は県外出荷分には付いてるようですよ・・・カボス果汁パック・・・「常蔵ファンクラブ」の下記エントリーにそのことが記載されてます・・・。
http://tsunezo.blog9.fc2.com/blog-entry-333.html

“カボスdeロック”も好いでしょうし・・・“豊後チュウハイ”にも好いでしょうし・・・カボス果汁と減圧麦焼酎の相性をお楽しみ下さい・・・。
Commented by 三島 明(本人) at 2007-08-11 15:57 x
 今日、邪馬台国の論が交わされていることを知りました。
北四国説の宇摩説は、著書の3冊で、太鼓台は、ほとんど書いていません。したがって、これらを基礎に、解明が進んだ太鼓台の部分で、四国説の論議は、私には違和感があります。
 太鼓台の卑弥呼勢作は、北四国に邪馬台国が在って、九州と近畿に、ニニギ命、ニギハヤヒ命を天下りさせていた。この状況を、様々に、説明の上で、太鼓台の解明になります。
Commented by 酎州大分 at 2007-08-12 19:49 x
三島さま・・・まさか、こんな拙文ブログのコメントにご登場いただけるとは思っておりませんでしたので・・貴殿の宇摩説の著書を読みもせず、書いているのは、申し訳ございません・・・。・

ただ、貴殿の四国説とは別に・・・邪馬台国が何処であれ・・・太鼓台が邪馬台国(卑弥呼)に由来するかどうか?・・・の一点に(私は)違和感があると思った次第です・・・。
Commented by 三島 明 at 2007-08-25 18:10 x
 現在の太鼓台の飾りも、明治初期、100年以上使ったものがあります。雑な扱いでも百数十年となれば、丁寧に修理しながら使うと、もっと長かったと思われます。150年で、卑弥呼までは10数回の作り変えになります。とにかく、ブログを読んで見て下さい。
 太鼓台については、私の、イザ!ブログで、概要を書いています。
ホーライエンヤも、私は卑弥呼が起源と考えています。例えば、赤い長い襷が共通するはずです。
 赤は、太鼓台の配色から、天照大神、および、組織を、意味します。これらの解明はブログにあります。
http://kabu003himiko.iza.ne.jp/blog/
少し多いのですが、読んで見て頂きたいと思います。
 と、言っても、先日のご注文主のような気がするので、もうお手元に本が届いているように思われますが、、、。
Commented by 酎州大分 at 2007-08-28 22:45 x
太鼓台そのものがいつからあったんでしょうかね・・・一説には、淡路島から近世に広がったとかいう方もいまして・・・これらを超越して卑弥呼は・・・先生の諸説もブログの範囲で読ませていただいておりますが・・・赤が何を意味するからとか何が共通するとかなどといえば・・・そうともとれますが・・・中国の皇帝の貢物を喜び民衆に見せびらかす卑弥呼の姿につながるのが太鼓台では・・・あまりにも、卑弥呼が中国コンプレックスだったと思えてなりませんが・・・太鼓台と卑弥呼私はいかように言われようが・・・ホントでしょうか?・・・という心境・・・。

本・・・私は買ってませんので・・・申し訳ございません・・・。
Commented by 三島 明 at 2007-08-30 08:51 x
 太鼓台の起源は、不明です。淡路は形態から、(布団が2~3まいなど)から、起源とするには、中途半端です。
 卑弥呼は国内の乱れに悩んでいたから、国固めに使ったのであり、コンプレックスとは無縁です。中国皇帝の意味のある龍を高天原と人々の往来する使者の位置に使っています。つまり、利用したと言うことです。
 無理に宇摩説を押し付けtる気はありません。
丁度、福岡から注文があったので,間違いだったようですね。
 宇摩説は根本から常識と違うので、最初から読まないと、理解不能です。失礼しました。これで、コメントは終わりにします。お元気で
Commented by 酎州大分 at 2007-09-01 01:16 x
だんじりは海路か陸路かは異なると思いますが近畿から伝播したことが通説のことろが多いと聞いております・・・。
起源が何処であるかも不明で、卑弥呼の時代からあったということも不明ですよね・・・。
で・・・卑弥呼は中国皇帝コンプレックスではなくて・・・中国の皇帝の意味を持つ龍を利用するのは?・・・中国の皇帝の権威を認めてるから利用する価値があるんでしょう・・・中国に貢物を贈ることからも・・・卑弥呼は中国皇帝に認めてほしかった側であるとすれば・・・合点がいくのですが・・・。
邪馬台国宇摩説も説としてはあっていいのですが・・・卑弥呼と太鼓台は・・・宇摩であろうが、九州であろうが、近畿であろうが・・・申し訳ありませんが・・・先生のブログを読んでも・・・現状からの推論はいかようでも結構ですが・・・卑弥呼の時代からあったかどうかも含めて起源は、不明ということで・・・。
今後も、ご健勝でご活躍下さい・・・。
Commented by 三島 明 at 2007-09-06 14:12 x
 宇摩説は古事記の合理的、科学的解釈から始まりました。解けてみると、倭人伝に一致することが判り、倭人伝も解く事になり著書3を出しました。ここまでの著書で、太鼓台・船神輿の話は、ほとんどありません。
 宇摩が、高天原(邪馬台国)だと、判った後、宇摩の地域芸能を調べるうちに、倭人伝の使者、「テイシュン」が、無形文化財の『異国の皇帝』に、さらば異国の皇帝は、、、、、ていしゅんのいけのおもてを、、」と「歌われている事(著書3にここだけ挿入)を知ったのです。
 この時まで、卑弥呼に結び付くとは、私も思っていませんでした。
Commented by 三島 明 at 2007-09-06 14:26 x
(続き)
著書3を出して以後に、太鼓台と、船神輿の調査・研究が始まり、本に出来る原稿を書きました。これらを、概略で示したのが、ブログです。
 『異国の皇帝』は、ブログに載せたと思います。これは、2番で、1番は、『めでたいの』と題され、キミさまの初夢によって、クサナギ山の楠で船をつくっれ出発する様子、が歌われます。
 倭人伝に対する、日本側の記録と思いました。
以上のようなわけで、一気に卑弥呼は信じ難いと思います。
 コメントを終るつもりでしたが、応答のコメントで、言葉足らずに気付き、長いコメントを入れることになりました。
Commented by 酎州大分 at 2007-09-07 00:56 x
三島さま・・・著書3冊の売込みともとれる追記・・・私は、宇摩説を否定できる知識はありませんので・・・それはそれでよろしいかと・・・。

何度もお聞きしますが・・・太鼓台・船神輿は邪馬台国の卑弥呼の時代からという根拠は・・・未だに不明ですね・・・。

時代の下がった現在からあの時代の記録にまつわる事象を拾い集めると・・・卑弥呼の時代の“状況”に通じるものがある、もしくはあった・・・ということが・・・すなわち、即、卑弥呼の時代にあった・・・とはならないということ・・・これが、私の主張です・・・。

神輿の発祥は、宇佐神宮との通説(三島さまには、非常識でしょうが・・・)・・・東大寺の大仏完成時に大和に向ったときに使用したとの記録がありますが・・・三島さま風に言えば・・・
“この宇佐神輿も「卑弥呼(宇佐説)の時代から凱旋、遷都する際に載っていた卑弥呼の移動具を発祥としている」と・・・宇佐の祭りを調べるうちに知ったのです・・・。”
・・・とは、なりませんよね・・・。

Commented by 酎州大分 at 2007-09-07 01:01 x
邪馬台国のあった地は、宇摩であろうが、大和であろうが、九州甘木であろうが、菊池であろうが、宇佐であろうが・・・何処でもいいですが・・・太鼓台や船神輿が卑弥呼の時代からというのは・・・何度も申し上げますが・・・飛躍しすぎでしょう・・・。逆に、宇摩説を肯定するために地元の祭りや芸能と結びつける作為があるように思えてなりません・・・。

長いコメントいただきながら恐縮ですが・・・この程度で、ご勘弁ください・・・もう、よろしいでしょう・・・一気に信じ難い“太鼓台と卑弥呼”は・・・。
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