中津散策(その1):中津城址に残る歴史
日曜日に・・・中津市を訪ねてみました・・・。ご城下の佇まいは、薄れていますが・・・旧家に残る“有職雛”等がお披露目される「中津のひなまつり」は・・・残念ながら来週からでした・・・。

中津散策(その1):中津城址に残る歴史_c0001578_237797.jpg山国川が海と交わる河口にある「中津城」址・・・あの“黒田官兵衛孝高(=如水)”が天正16年(1587年)に築城した“平城”・・・別名は、その本丸の容から・・・“扇城”・・・。

現在は・・・本丸の跡地が“中津公園”であり“中津神社”の境内となっているんですが・・・“模擬天守閣”があって中津の街と海を見渡せます・・・。

黒田(長政)家が“筑前”にお国替えされた後・・・細川(忠興)家、小笠原(長次)家と入封し・・・江戸時代の享保2年(1717年)に奥平(昌成)家が入城後は幕末まで9代にわたり、蘭学の奨励などの藩政を行っていたとのこと・・・。
手前左手のお社は・・・藩主であった奥平氏を祀る“奥平神社”・・・“たにしまつり”が執り行われています・・・。

あの“福沢諭吉”を生んだ・・・奥平藩=中津人の“気風”にも・・・少しは、触れることができるかもしれません・・・。




中津散策(その1):中津城址に残る歴史_c0001578_2364278.jpg中津神社・・・明治14年(1881年)に伊勢神宮の分霊を御鎮座した“豊前のお伊勢さん”として・・・豊前の総鎮守としたとされています・・・。

御祭神:天照皇大神
     豊受大神ほか2神

中津散策(その1):中津城址に残る歴史_c0001578_2373198.jpg独立自尊の碑・・・明治37年(1904年)に福沢諭吉を記念し建立・・・・諭吉の戒名にも用いられた「独立自尊」とは・・・「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云ふ」とされています・・・。

中津散策(その1):中津城址に残る歴史_c0001578_2374964.jpg西南役中津隊の碑・・・“増田宋太郎”を隊長として・・・“西南の役”の際、西郷軍に加わった義勇軍“中津隊”を顕彰して建立されたもの・・・。

増田宋太郎は・・・明治期に中津で創刊された田舎新聞の初代編集長として自由民権を説いた人物・・・。“脱亜論”の諭吉に対しては・・・親戚関係でありながら、対立した民権家であったとされていて・・・西郷隆盛とともに鹿児島の城山で戦死したとされています・・・。

中津散策(その1):中津城址に残る歴史_c0001578_238176.jpg城井神社・・・黒田如水の入封によって・・・長きに渡って豊前国守 城井谷城主であった宇都宮鎮房を城内で謀殺したことから・・・その霊を鎮めるために・・・御祭神として祀った神社・・・。

中津散策(その1):中津城址に残る歴史_c0001578_2383440.jpg金刀比羅宮・・・中津神社が“豊前のお伊勢さん”ならば・・・この社は“豊前のこんぴらさん”・・・周防灘に面した中津の海の守護を祈った社・・・。

中津散策(その1):中津城址に残る歴史_c0001578_2385311.jpgその金刀比羅宮の社の中に納められている・・・魚を模った一木造りの山車(だし)・・・“海上安全”と“大漁満足”のために祈願された奉納品でしょうか・・・。愛嬌のある姿が印象的でした・・・。

中津散策(その1):中津城址に残る歴史_c0001578_2391098.jpg山国川河口に浮かぶ中洲・・・“小祝”地区に架かる橋と・・・その下を流れる“中津川”・・・その向こうは、もう“周防灘”です・・・。
by project-beppin | 2006-02-14 02:41 | 大分の風土・行楽
<< やっぱ“生”は、ショットグラス... “ドライ・ビター”が冴える・・... >>