県南・豊肥紀行(その3)・・・偉人を育んだ街を歩く
R502号線を一路、竹田市方面へ・・・大野川の支流となる入田川の対岸にはそびえるような“岡城址”があり・・・その岡城址の山肌を貫くトンネルを潜って竹田市街地へと・・・。

県南・豊肥紀行(その3)・・・偉人を育んだ街を歩く_c0001578_3363411.jpg広瀬神社”の境内から見た竹田の町並み・・・その向こうに見える遠景の山並は“久住連山”・・・。

春は“岡城 桜まつり”・・・秋は“竹楽”が有名ですが・・・新緑の今頃も“春本番”の光に満ちています・・・。

阿蘇山系の外輪山東側の麓にある竹田・・・風光明媚なこの地では・・・辺境でありながら特徴ある文化と精神が息づいていました・・・。

岡藩八万石の武士でありながら文人画家として南画の境地を開いた“田能村竹田”・・・日露戦争で果敢に散った軍神“広瀬武夫”・・・日本の近代音楽の創始者的作曲家“滝廉太郎”・・・これらの歴史に残る偉人たちを育んだことが・・・何よりの証しかと・・・。

また、環境省選定名水百選で“九州一の名水”との評価を受けた“竹田湧水群”のある“名水の里”でもあります・・・。

車を降りて・・・師匠とともに、しばしの竹田散策・・・。
麦・米麹で醸す“唯一無二”の味わい麦焼酎「岡城」や・・・古式ゆかしい「白酒」を造る熊谷酒造さんへも・・・。




県南・豊肥紀行(その3)・・・偉人を育んだ街を歩く_c0001578_3364859.jpg竹田中心部の通り・・・戦災を受けていない古き時代の残影があります・・・。


県南・豊肥紀行(その3)・・・偉人を育んだ街を歩く_c0001578_3371973.jpg熊谷酒造・・・道沿いに昔ながらの商店風の建物・・・“竹田名産 焼酎 白酒”と書かれた外壁看板が一際目立つ店の味わい深さ・・・。

やはり・・・ここの「岡城」も「白酒」とともに・・・“昭和の残影”のような深い風味があり・・・如何にも竹田らしい味わいのような気がして・・・私は好きなんですよ・・・。

もちろん・・・「岡城」ワンカップを購入しました・・・(笑)。


県南・豊肥紀行(その3)・・・偉人を育んだ街を歩く_c0001578_3374537.jpg軍神“広瀬武夫”と竹田(市)・直入(郡)出身戦没者の御霊を祀る“広瀬神社”の参道石段・・・縣社として昭和になって建立された神社です・・・。


県南・豊肥紀行(その3)・・・偉人を育んだ街を歩く_c0001578_338376.jpg石段を上りつめて振り返ると・・・真っ直ぐに街の中心街に向う道が見えます・・・。


県南・豊肥紀行(その3)・・・偉人を育んだ街を歩く_c0001578_338382.jpg拝殿には・・・中心に肖像写真も奉られて・・・日露戦争時の日本人の鑑であり・・・郷土の誇りでもあることを・・・知ることができます・・・。

どこかに忘れていた“奉公”の精神を呼び覚ましてくれました・・・。


県南・豊肥紀行(その3)・・・偉人を育んだ街を歩く_c0001578_3405126.jpg竹田の武家屋敷通り・・・石積みの黒塀と漆喰白壁の塀囲いのコントラストにも・・・遠い過去への時間旅行・・・。


県南・豊肥紀行(その3)・・・偉人を育んだ街を歩く_c0001578_3411459.jpg廉太郎トンネル・・・トンネル入口に検知センサーが取り付けられていて・・・中に入ろうとすると自動的に“荒城の月”がトンネル内に流れるようになっています・・・。


県南・豊肥紀行(その3)・・・偉人を育んだ街を歩く_c0001578_3441770.jpg“昭和の残像”街角散策・・・魚屋さんの軒先で売られている“ラムネ”と“ニッキ水”・・・。

HAKUDOU師匠が見つけて・・・ついつい私も買っちゃいました・・・(笑)。


県南・豊肥紀行(その3)・・・偉人を育んだ街を歩く_c0001578_344375.jpg昭和と変わったところは・・・ラベルに“昔なつかしい!!”というキャッチコピーが入っているところと・・・品名のところに“ニッキ水(シナモン)”と但し書きで“シナモン”と記入してあるところ・・・。郷愁にかられる私としては・・・これらは無い方がいいんですがねぇ・・・。


県南・豊肥紀行(その3)・・・偉人を育んだ街を歩く_c0001578_345143.jpg竹田の商家に飾られている“姫だるま=竹田のおきあがり”・・・その由来は、岡藩下級武士の妻の逸話からはじまったとされ・・・正月2日の未明、ホギト(祝人)が来て「やあーおきあがり、おきあがり」と声をかけながら、玄関や戸口に“おきあがり”を置いてゆくという風習が受け継がれ・・・ホギトには御祝儀を渡し、“おきあがり”は神棚や酒樽の上に飾っていたとのこと・・・。

家庭円満、子孫繁栄などを願う縁起物として・・・こうして今でも町のあちこちで飾られています。

実は、全国のだるまの中でも・・・このだるまの面白いのは“背中の図柄”・・・“男根”とも“女陰”とも思える達筆の“性器様図柄”になっていて・・・だるまの“立ち上がる”になぞらえた縁起担ぎとも・・・(笑)。

竹田の街の魅力・・・まだまだ、奥が深いですよ・・・。
by project-beppin | 2006-05-10 03:48 | 大分の風土・行楽
<< “朴訥”とした胡麻つゆが風味絶... どっしりとした“上燗”・・・旨... >>