県南の夏残影(その2)・・・“大友宗麟”墓地公園
津久見I.C.を下りて市街地から県道36号線を佐伯方面へ・・・県道を進むとその山手側の麓にひっそりと佇む“墓所”・・・“大友宗麟”墓地公園・・・。

県南の夏残影(その2)・・・“大友宗麟”墓地公園_c0001578_14435531.jpg大友義鎮(よししげ=後の宗麟)・・・“九州六カ国守護職”、“九州探題”を担った戦国時代の“キリシタン大名”・・・。

49歳で洗礼を受け・・・“ドン・フランシスコ”・・・“天正遣欧少年使節”では、“伊東マンショ”を名代としてローマへ派遣したり・・・キリスト教的理想国家“無鹿(ムジカ)”の建設など・・・自ら“南蛮文化”を実践するという時代感覚は・・・その後の日本に影響を与えました・・・。

当時は“キリスト教式墓”に埋葬された宗麟ですが・・・その後、豊臣秀吉の“耶蘇教禁令”により“仏墓”となり・・・昭和58年に“ドン・フランシスコ墓”が新たに造られ・・・墓地公園として整備されました・・・。

“蝉時雨”の降り注ぐ樹下の木陰に眠る“大友宗麟”・・・その人格と功績には表裏があり・・・そんな人物像に興味を抱きながら・・・手を合わて拝み・・・この地をあとにしました・・・。




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by project-beppin | 2006-09-02 14:44 | 大分の風土・行楽
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